田中里子さん逝く―惜別のことば―
 三月二十八日、田中里子さんが、多臓器不全のため死去。八一歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。

惜別のことば
東京都地域婦人団体連盟会長 川島霞子

「新ガイドラインに反対し平和憲法をまもる市民と団体の会」で訴える田中里子さん=04年6月21日、有楽町マリオン前
 田中里子さん、あなたに初めてお会いしたのは芝の児童館でございました。共に二〇代、希望に満ちた若き頃でした。以来、五十数年、本当に長い歳月を、あなたは地婦連とともに歩んでいらっしゃいました。まさか私が、このような形でお別れのことばを書くことになるとは思いもかけず、悲しさと寂しさにただ耐えております。
 人は若き頃、理想と志にもえて人生を歩みだします。しかし、何ほどの人びとが、我が理想を貫くことができたでしょうか。里子さん、あなたは幸せな方でした。見事に我が持てる理想を具現化し、その志を果たされました。
 山高しげりという、卓越した婦人運動家との出会いが、まずあなたの第一歩でありました。そしてまた、すばらしいご夫君義郎様という生涯の伴侶を得られたことです。このお二人によって、あなたはより高い理想と、幅の広い社会観を持たれたと存じます。まさに水を得た魚というべきでしょうか。
 地域の婦人団体を大同団結し、全国地域婦人団体協議会という、わが国一の大きな女性組織に育てあげました。それからのあなたの活躍は目ざましいものでした。
 核兵器廃絶の国民的運動の先頭に立たれ、実行委員長として原水爆禁止世界大会の統一を実現されました。一九七八年の第一回国連軍縮特別総会でのあなたの、胸をゆさぶるような切々たる演説は、世界各国の代表に深い感動と平和の尊さをしっかりと確信させたと存じます。
 あなたは女性の地位向上、男女平等を説いて全国各地を回られました。地域の女性一人ひとりの意識の改革を強く訴え、「種をまかなければ花は咲かない」があなたの口ぐせでしたね。
 カラーテレビ二重価格問題では、「買い控え運動」という、まことに主婦らしい発想で、しかし初志はしっかり貫徹したことも忘れられません。
 また「ちふれ化粧品」の開発販売という、まことに大きな事業も手がけられました。化粧品の成分の分析のもと、導き出した結論から徹底的に容器の簡素化、宣伝活動をせずに、一〇〇円化粧品「ちふれ」を世に出し、化粧品への世の人たちの意識の革命をなしとげられました。以来婦人会員の協力のもと、今や「ちふれ化粧品」は大きく育っています。
 何ごとにおいてもあなたの鋭い感性と先見性、そして女性ならではの優しさ、ねばり強さは類まれなものでした。あの童女のような笑顔の中に、何ものにも屈しない強さを秘めて私たちを導いてくださいました。
 政府税調、女性問題懇談会などの委員として、地域の女たちの声を中央政府へ伝える役割も、しっかり果たしてくださいました。
 そして里子さんのお手柄の大きな一つは、多くの後輩を育成なさったことです。ご自身のお子さんはなかったけれど、本当に皆わが愛娘のように、時にはやさしく、時には厳しく指導していられました。これも誰にでもできることではありません。里子さん、安心してください。あなたの愛し育んだ娘たちは、現在しっかり地婦連事務局を守っています。
 これからは、天の星、地の花ともなって私たちを守り導いてください。最後に国文学専攻であった里子さんに西行の歌を捧げます。

 願わくば花のもとにて
 春死なんそのきさらぎ
 の望月の頃

 まことにこの歌のとおりの見事なご終焉でした。せつにご冥福をお祈り申し上げます。
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