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■2009年4月15日付 | |||||||||||
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■お花見平和のつどい・2009 満開の八重紅大島桜 |
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核兵器のない、戦争のない、21世紀の時代を一日も早く取り戻そう 第五福竜丸展示館前広場に咲く、満開の八重紅大島桜の下で四月五日に開催された、第五福竜丸から平和を発信する連絡会の主催の「お花見平和のつどい・2009」に、一五〇人が集いました。楽しく和やかに平和の尊さをかみしめながらも、核兵器のない、戦争のない二一世紀の時代を一日も早く取り戻そうと、誓い合いました。 |
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今年の特別報告は二つ。一つは「原爆症裁判から見えてきたもの」 二つ目の「明日の神話を知っていますか‐‐岡本太郎と第五福竜丸」 お花見平和のつどいに行ってきました 桜は平和の花の代名詞で、あり続けてほしい 毎年この集いに参加する私の楽しみの一つは、あの「桜」に会えることです。東京地婦連が、「東京に豊かな緑を」、と二七年間続けてきた緑の銀行運動の最後の植樹地が、都立第五福竜丸展示館の海を臨む庭でした。 「21世紀を、平和の世紀に」のメッセージをこめ、九年を経た八重紅大島桜は、潮風に強くたくましく育っていました。今日の集いに合わせたかのように満身を花で飾り、両手を左右に広げた美しい樹形で、私たちを迎えてくれました。 集いでは、原爆症認定集団訴訟の闘いの経過報告を聞いたり、車座になって平和への思いをみんなで語り合う他団体との交流を通して、楽しさを味わう中にも、平和の危うさと、だからこそ戦争被害を語り継ぐ意志の大切さを学びました。 折しもこの日北朝鮮は、日本の頭上を越すミサイル「テポドン」を発射する暴挙に出ました。世界の局地戦争は止まず、核兵器使用の恐れも常にはらんでいます。「同期の桜」などと散り際の潔さをたたえ、若者を戦場に駆り出した戦争はもうたくさん、「桜は平和の花の代名詞であり続けてほしい」と願った一日でした。 ビキニ水爆実験で被災したマグロ漁船尾形「海幸丸」 早春のある日、弟から分厚い封筒が届きました。サラリーマンのころから故郷の新聞にときどき寄稿していた二つ年下の弟は定年退職後、父・祖父・曾祖父の足跡を調べ、実家の記録をまとめてきましたが、今回の記録の見出しは「ビキニ水爆実験と尾形『海幸丸』」とありました。 昭和二十九年三月一日未明、マーシャル群島ビキニで水爆の死の灰を浴びた第五福竜丸の近くの海域で、マグロを獲っていた「海幸丸」の尾形は、私の生家の苗字です。 尾形海幸丸が三崎を出港した昭和二十九年二月二十四日から、帰港した四月十四日までの間にビキニ水爆実験は三月一日・二十七日・四月七日の三回あり、三月二十七日の二回目実験のときには、ビキニ環礁から東六〇〇キロのマロエラップ島沖で操業中だったので、影響を受けたのはそのときの可能性が高いとのことです。 元船長の話によると「漁を終え、三崎港に向かっていると『水爆の実験があった。放射能が降ると害があるから乗組員はもちろんのこと船体も水洗いしろ』と突然、無線で会社から言ってきたんだ。漁船同士の無線で、第五福竜丸には灰のようなものがうっすら積もったと知ったが、海幸丸には積もらなかったので、本当に怖いという感じはなかった」 「三崎港に入港すると、白衣を着た厚生省の技官が乗り込んできて、ガイガーカウンターで調べ始めた。魚も船も船員もみんな“ガーガー”って。私も頭とか背中とかで鳴った。上陸してからの検査は簡単で『何か異常があったら、連絡せよ』といわれた程度でした。魚は廃棄処分が決まって、再度出港して二昼夜走って海に投棄した。一年後にわずかな補償金が出たことは覚えている」と。 私の弟は去年の秋、第五福竜丸展示館を訪問したとき、第五福竜丸平和協会事務局長の安田和也さんから「マグロや漁船の船体の水爆汚染については記録があるが、乗組員の被災の実情については第五福竜丸を除き、ほとんどわかっていない」と、聞いたとのことでした。 第五福竜丸の元乗組員、大石又七さんは著書で「厚生省が把握しただけでも、被爆した船は八五六隻、そこには二万人近い乗組員が働いていた。そして何百、何千カウントという強い放射線が検出された人も、発病して亡くなった人もいる。なのに、政府はマグロの検査だけはしたが、乗組員の身体には目を向けようとはしなかった」と怒りをもって訴えています。 私は田中里子さんがお元気だった頃から、何度も「お花見平和のつどい」に参加し、第五福竜丸展示館をのぞきながら、生家の船が被爆した福竜丸と同じ地図に載っていることを知りませんでした。 海幸丸が死の灰を浴びたときは二番目の子どもが生まれた直後で、自分の暮らしで精いっぱいでした。 海幸丸は太平洋戦争勃発前の昭和十六年八月、海軍に徴用され、太平洋において十九年一月、米軍の襲撃を受けて海底に沈みました。戦後再び建造した「第二海幸丸」は、また同じ太平洋で米国のビキニ水爆実験で被災しました。 戦争が終わり平和になったのに、なぜ被爆しなければならないのか。「なくそう核兵器 つないで つないで 東京から平和を」の運動の大切さを痛感しました。 |
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■結核予防会創立70周年記念 第60回結核予防全国大会 |
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結核のない世界めざす 財団法人結核予防会創立七〇周年記念第六〇回結核予防全国大会が三月十七・十八日の両日、ホテルニューオータニで開催されました。「結核のない世界」をめざす研さん集会と記念講演、式典が行われ、全国結核予防婦人会総会が同時に開催されました。大会は総裁の秋篠宮紀子妃殿下が終日出席し、十八日の創立七〇周年記念大会式典には天皇皇后両陛下がご出席になり、天皇から祝辞のお言葉がありました。 |
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日本は一昨年、「結核の罹患率は、中蔓延(まんえん)国=人口10万人当たり10人以上=から低蔓延国=10人以下=への過渡期に入った」と分析していますが、いまだに年間二万五〇〇〇人以上の新しい結核患者が発生しています。主要な感染症として、まだまだ油断できず、気を許せない病気です。 最近の結核の特徴は患者の高齢化と合併症併発で、東京のような大都市での罹患率が高いことです。特に外国人患者の割合や社会的弱者に高い罹患率が目立ちます。 結核菌も複雑化して耐性菌の強いものへ変化していて、あなどれません。 十七日の研さん集会・セッション1は人形劇構成で、BCGワクチンの接種について乳児のいる三世代家族が正しい知識と理解を深めるというストーリー。映像やクイズを交えながら認識と予防接種の世界の動向などの現状を、分かりやすく訴えました。 セッション2は、パネルディスカッションです。パネラーは患者代表の成瀬匡則さん、芸術家の立場からアーティストの中村政人さん、医療ジャーナリストの田辺功さん、保健医療団体からNPO法人AMDA社会開発機構理事長の鈴木俊介さん、国際保健分野から西山正徳さん、ストップ結核パートナーシップ推進議員連盟から浜四津敏子議員と幅広い分野から「パートナーシップ!!」をキーワードに、「ストップ結核」をめざすには、さまざまな広がりのある取り組みとグローバルな視点が必要と強調しました。 二日目の大会では作家の辻井喬さんが、「結核と文学の世界」と題して、特別講演を行いました。 この大会に合わせて、全国結核予防婦人団体連絡協議会は平成二十一年度定期総会を開催し、結核撲滅のために今年度もシール募金活動の後援や実施、ストップ結核パートナーシップ日本の後援、若年者の喫煙予防、肺の生活習慣病対策の広報に力を入れる事業計画を採択しました。 大会の成功にも貢献 70人あまりが参加 東京地婦連 今回は、開催地が東京ということもあり、川島会長が婦人会総会や秋篠宮妃殿下総裁を囲む婦人会懇談会では、お礼のあいさつを述べました。ほかにも受け付けの手伝いや大会宣言の朗読を行ったりと、何かと役回りがついてきた二日間でした。 東京地婦連からは延べ七〇人あまりが参加して、結核予防の大切さを学び、婦人会で取り組むシール募金活動は日本のみならず世界から結核をなくすための予防対策の普及、広報に役立っていることを再認識しました。 参加者の感想 胸打つ闘病の体験談 パネルディスカッションの中で、成瀬匡則さんという二四歳の青年の闘病経験談にはこの現在、結核患者の悲惨さがいまだ存在しているのかと、大きな衝撃を受けました。 隔離病棟生活のネガティブな気持ちを切なく語り、私はこの病気の恐ろしさを考えました。 辻井喬さんの講演も実体験の話なので興味深く、また時代的にも私と同じ年でもあり、ご自分の病気、生活環境、文学にかかわった経緯など大変丁寧に話してくださり、私も読書が少しばかり好きなこともあり、感じ入りました。 各病院、各製薬機関、団体の熱心な研究協力が実を結び、よい結果がでて、結核の撲滅が進むことを祈らずにはいられない大会でした。 一日でも早く結核菌が地球から消えるように 全国からの出席者で、会場はあふれんばかりでした。十七日はパネリストのみなさんが、いろいろな意見や体験談を話しました。 「えっ、ぼくが結核? それって何ですか?」から始まって、半年間隔離病棟へ強制入院し、闘病生活を強いられたお話を聞いて、ショックを受けました。 以前、結核は不治の病として大変恐ろしく、また治療費のかかる病気でした。戦後は良い薬ができて、医学の進歩とともに結核は過去の病気だと思われてきましたが、そうではなかったのです。 「エイズ」に感染しやすく、無視できないのです。また高齢者の結核患者が増えてきているようです。 第二部は大学生による人形劇で、結核について分かりやすく演じてくださり、とてもよく理解できました。 みんなで心がけ、結核菌が地球から一日でも早く消えていくことを願い、この会に参加してよかったと心から感謝します。 |
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■薬は「両刃の剣」 用法・用量を守って飲む |
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地域団体中央集会 東京都消費者月間協賛事業 東京地婦連は三月十二日、消費者団体と東京都の協働による学習会・地域団体中央集会(東京都消費者月間協賛事業)を東京都消費生活総合センターで開催しました。慶應義塾大学薬学部の望月眞弓教授を講師に迎え、「薬との上手な付き合い方」がテーマです。望月講師のお話のあらましを紹介します。 |
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市販薬と処方薬 医薬品には(1)「大衆薬」「市販薬」とも呼ばれる、消費者自らが薬局・薬店で購入できる、作用が穏やかで比較的安全な一般用医薬品。(2)「処方薬」と呼ばれ、医師の出す処方箋に基づいて入手する、作用が強い、使う際には特に注意が必要な医療用医薬品、があります。 いずれにしても医薬品は的確な診断を受け、薬剤・剤形選択・用法用量設定に基づいて調剤し、その後に患者への適切な説明、患者による正確な使用、その効果と副作用の評価、評価結果を処方へフィードバックするというサイクルが回ってこそ、適正に使用されているといえます。 医薬品には、いわゆる商品名である販売名と、世界的に共通の名称で薬の成分につけられる一般名があります。私たちは、販売名が似ていると、その成分も似たようなものだと思ってしまいますが、実際には違うこともあります。 例えば、大人用のバファリンAと小児用バファリンC2は、小児でのアスピリンなど非ステロイド性抗炎症薬によるライ症候群の発生を防ぐために、成分が変えてあります。つまり「用量を少なくしたから……」といって、大人用のバファリンを小児に与えてはいけません。 薬の効果・薬効は、薬によってもたらされる病気の治癒または改善、進行の遅延のことをいいます。即効性と遅効性、短時間型と長時間型、原因療法と対症療法という違いがありますし、すべての薬が病気を元通りに治すわけではありません。 薬は用法・用量を守って飲まなければなりませんが、それは正しい時間に、正しい量を飲むということです。万が一「飲み忘れたから」といって、次に二回分飲むのはもってのほかです。薬の服用は、コップ一杯程度の水で飲むのが、原則です。薬の使用時間は次のようになっています。 (1)食前=食事をとる20〜30分前 (2)食後=食事の直後から30分くらいの間 (3)食間=食事と食事の間。食事後2〜3時間 (4)頓服=必要な時 薬と副作用 一般用医薬品は比較的安全とされていますが、副作用はあります。薬の目的にあったものが作用であり、それ以外は副作用ということになります。つまり、薬は両刃の剣なのです。薬は正しく使用する、そのためには、医薬品をよく知ることが大切です。 薬の副作用は、投与量が多すぎたり、併用薬が多くなると出やすいですし、年齢、体の大きさ、体調、体質により副作用の出やすさは変わります。薬を使うとき注意が必要な人としては高齢者、妊婦、小児、アレルギー体質、肝臓や腎臓を傷めている人が挙げられます。 主な薬の副作用には、解熱鎮痛薬による胃腸障害や腎障害、かぜ薬による眠気や胃腸障害、抗生物質による下痢や過敏症、アレルギー薬による眠気などが挙げられます。一般用医薬品でも重篤な副作用が起きることを忘れてはいけません。 アナフィラキシーショック、スティーブンスジョンソン症候群(SJS)、ライエル症候群、ぜんそく、光線過敏症などがあります。皮膚がただれて失明したり死亡したりすることもあるSJSは、二〇〇一年から二年半の間に、一〇六四件が報告されています。この報告のうち、五八例はかぜ薬などの市販薬が原因でした。 薬と飲み合わせ 薬と飲食物の相互作用も忘れてはいけません。お茶やコーヒーと鉄剤、グレープフルーツジュースとカルシウム拮抗薬、アルコールと睡眠薬、納豆とワルファリンなどが、一緒に飲んではいけない代表的なものです。 薬の品質の確保も大切です。温度・湿度・光の管理、使用期限の厳守、開封後の保管、特に液状製品は要注意です。 私たちは、薬の正しい名称を知り、目的の効き目があるかを確かめて、自分が「使ってはいけない人に」あたらないかを確認し、現在使用中の薬の飲み合わせに問題はないかを確認しなければなりません。 一般用医薬品は、軽症の急性症状に対応するものがほとんどで、症状が重症な場合や二、三日以上継続している場合、薬を使い始めて二、三日たっても改善の傾向が見られない場合や、むしろ悪化した場合、重篤な副作用の兆候が見られた場合は、薬の服用をやめてすぐに医療機関で受診しなければなりません。 薬を求めるときには納得いく情報提供を 医薬品副作用被害救済制度という、仕組みがあります。医薬品を適正に使用したにもかかわらず発生した副作用による疾病(入院を必要とする程度のもの)、障害(日常生活が著しく制限される程度のもの)および死亡について、治療費、障害年金、遺族年金、葬祭料などが支給される公的制度です。 ところで、六月から改正薬事法が施行されます。長い間、一般用医薬品の販売制度について議論を重ね、いくつかのルールが取り入れられることになりました。まず、成分のリスクによるグループ化の原則が定められました。 ▽従来からの指定医薬品(販売は薬剤師)は第1類 ▽特に注意を要する重大な副作用や特定の患者に禁止されている医薬品、繰り返しの使用で習慣性、過量使用で死に至る障害が出る可能性のある医薬品は第2類以上。 ▽第2類のうち、妊婦・小児に使わないよう指示がある場合や習慣性のある成分は指定第2類、いずれにも属さない場合は第3類となります。 第1類は薬剤師が書面をもって説明し、第2類・第3類は薬剤師または登録販売者が販売します。その際には十分な情報提供が求められています。 私たち自身も、薬局や薬店で、 ・この薬の名前は? ・何に効くの? ・服用する時に注意することは? 副作用は? ほかの薬や食べ物との飲み合わせは? など、どんどん質問をしましょう。 このことが、適切な販売方法の徹底を進めていくことになると考えます。 |
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■多摩東部に汚染広がる 第63回大気汚染測定調査結果の報告 |
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昨年十二月四・五日に実施した東京都一斉NO2測定結果報告会が四月四日、渋谷区消費者センターで開催されました。東京地婦連も提唱し、三〇年あまり前に始まったカプセル測定運動ですが、東京連絡会のメンバーとともに今回は東京全域の一万四〇五三カ所で取り組まれました。 | |||||
調査当日の天候は、初日の四日は穏やかな晴天でしたが、五日の昼前から午後三時ごろにかけて突風と激しい雨になりました。そのためカプセルが落ちて割れたり、雨水が入ったため有効測定数は一万一三八六でした。今回は圏央道、首都高、外環道の建設が問題となっている地域で、環境を守るための科学的な根拠にしようとする測定も増えているのが特徴です。環境教育の一環でカプセル運動に参加したり、ぜんそく医療制度の患者登録と併せた測定も始まっています。 都内全域の平均濃度は0・038PPm 測定結果は、東京全域の地上1・5メートルの平均NO2濃度は0・038PPm(07年12月よりマイナス0・003)、二三区の平均が0・041PPm、多摩地区は0・035PPmでした。 ほとんどの地域で、前年よりはごくわずかですが低くなっています。 幹線道路沿いでは平均0・047PPm、その他の道路では0・036PPm、道路以外では0・033PPmでした。特に車の走行量の多い区部の幹線道路沿いでは、平均濃度が0・050PPmと高い数値です。 濃度高い都心部 地域別の特徴では、都心あるいは臨海地域の区が高い濃度で、江東区では0・056PPm、港区0・048PPm、千代田0・047PPm、中央区は0・046PPmでした。夜間は大型貨物車の交通を制限するなど、交通規制を強化することが求められます。 多摩地域で、平均濃度が高いのは東久留米市で0・040PPm、東大和・調布・瑞穂が0・039PPm、そして清瀬・西東京・三鷹・小金井がこれに続き0・038PPmで、今回は二三区に近い多摩東部に汚染地帯が広がっていることが特徴でした。 「大変汚れている」が392カ所も 強い雨風の影響からやや低めの平均測定結果でしたが、NO2濃度が0・061PPm以上で「大変汚れている」と判断される測定点は区部で392カ所(23区全体の6・7%)、多摩地域で90カ所(多摩全体の2・2%)もありました。 大気汚染は必ずしも改善されていないことを、カプセルは示しています。 私たちは、NO2はもとより有害な大気中に漂う2・5ミクロン以下のチリ「PM2・5」を規制させるため、「今こそ微小粒子の環境基準を」と行政への働きかけを急ぐ必要がありそうです。 |
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■地域ニュース | |||
わか草婦人会 桜の開花がテレビや新聞などで盛んに報道されている中、四月二日に山梨県の石和温泉と桃源郷へ日帰り旅行をしました。谷茂岡会長宅前から、観光バスで出発。地元の区役所桜通りの満開の花を車窓から見て、桜並木を走り抜け、甲府へと走ります。白い富士の峰はくっきりとして、ブドウ畑や桃畑が左右に見えます。 桃源郷の「見晴らし園」で甘酒とお菓子をいただきながら眺めた、白やピンクの桃の花はとてもきれいでした。五分咲きくらいでしたでしょうか。 昼食は、石和温泉のホテルで。まずは甲州名物ワインで乾杯。郷土料理のほうとうを「戦国の勇将武田信玄は軍団の健康に気を配り、ほうとうを振る舞い、勝利に導いた」話を思い出しながら食べました。 食後は温泉に入浴する人もいましたが、私は数人のみなさんと外出して、ホテル前の一、二キロの満開の桜並木を散策しました。 品種の違いなのか、空気がきれいなのか、都心では見られない鮮やかなピンク色の花です。柔らかな日差しの春風に咲きこぼれた満開の花びらが、川面に浮かぶ様を見て、心が和む散策でした。帰りには、ワイン工場を見学、試飲をしてお土産に購入。とても楽しい、心が休まる一日の旅でした。 向友会 三月二十九日、二カ月ぶりの定例会を開きました。年度末の集会となり、来年度の新しい抱負を考えながら、心身ともに少しでも新しい課題に取り組んでいこうと話し合いました。 私が婦人会に入ったのは昭和三十年ごろだったと思いますが、子育ての忙しい時期だったので、一度は退会したこともありました。今では、みなさんに会うのを楽しみながら、会員の一人としてなるべく参加するようにしています。 高齢化が進むにつれ出席者が少なくなり、さびしい心境ですが、二カ月ぶりにお会いした会員のみなさまのお元気な姿を見て、互いにとても安心し合い、おしゃべりに花を咲かせることができました。四月五日の「お花見平和のつどい」に合わせて折り鶴を折ったり、歌を聞かせていただいたりして、心が明るくなる定例会でした。 |
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